Challenge100編集部に定期的に届く手紙。差出人は、「未来予測職人」を名乗る人物。その内容は人生100年時代を考える我々にヒントや指針を与えてくれるものです。一部では2050年から来た未来人じゃないかとも噂されるその記述を、小出し小出しに記事化。今回はいよいよ”本題”、人生100年時代で変わるアレやコレを想像してみましょう。
「みんなが100歳まで生きる社会」は危機なのか?
前回は「Backcasting」という、あるべき未来を積極的に構想していくアプローチについてお話ししました。そこでキーフレーズとして挙げていたのが「そんな馬鹿な!」です。未来を自らの手でつくり出していくには「そんなこと実現するはずない」ということを果敢に掲げる楽天家精神が必要、というお話でした。
そして当面私たちが迎えようとしている「そんな馬鹿な!」が人生100年時代です。人間の寿命が100歳になる日が到来するなど、一昔前の人々にとっては「まったくあり得ない」ことだったでしょう。多くの人がまるまる1世紀を生きる世の中なんて、夢みたいな話だったはずです。しかし現実として100歳を超える方々の人口は増えており、もはや「そんな馬鹿な!」ではなく確実に到来する社会と言って良いでしょう。
一方で人々の寿命が延伸するとなると、「社会保障が危ない」「寝たきり状態の人生が長くなる」などネガティブな捉え方も出てくるものです。しかし、かつてケネディ大統領が語った言葉を借りれば、「危機」とは「危険」と「機会」から成り立つ言葉。「危険」と思って悲観的に捉えるのか。むしろ変化の「機会」だと捉えるのか。皆さんは、もうわかっていますね。Backcastingの発想に立つならば、人生100年時代もまた大きな「機会」なのです。
やや悲観的なニュアンスのある「超高齢社会」という見方をポジティブな「長寿社会」に転換し、健康を維持したまま100歳になれる社会というものをまずポジティブに構想してみる。そこから「未病」や「健康長寿」といった概念が生まれ、言葉として認知され、結果として人々の行動変容につながっていくのです。
やがてはテロメア(生物の老化に関係するとされる染色体の端の部分)の延伸を図る老化防止技術や、調子の悪くなった臓器をマシンのパーツのように交換する再生医療などが当たり前になるかもしれません。これらの研究も、「みんなが元気なままで100歳を迎える未来」を積極的に構想するからこそ、前進することができるのです。